スペインの大平原を電車に乗ってセゴビア(Segovia)に行った。-1993年8月 [タイムスリップ]
マドリードからスペインの大平原(たぶんメセタ・セントラル? :Meseta Central 中央台地))を電車に乗ってセゴビア(Segovia)に行った。-1993年8月
セゴビア(Segovia)は、マドリードからは87km。今はバスの方が便利らしいけど、1993年8月29日 マドリードから電車に乗ってセゴビア(Segovia)に行った。
所要時間は、約2時間、途中で乗り換えも有ったが、親切なスペイン人の皆さん(おせっかいなくらい?)の御蔭を持って無事到着した。
今は、南部にアトーチャ駅、北部にチャマルティン駅があるそうだが、当時確か北の駅(名前の記憶なし)に適当に乗ったような記憶がある。切符を買う時に、その駅からでは直接セゴビアに行けないとのことで、駅窓口では、路線図をくれ、乗り換え場所をマークしてくれぐれも注意するよう、繰り返し説明された。
電車に乗ってしばらく経つと、車掌がスペイン語で何やら捲し立ててきた。「ぽかーん?(怒っているのかな?)」
そうこうしているうちに、「どうしたどうした」とばかりに、お爺さん、お婆さん4人組が集まって来て車内は大騒ぎ。
「セゴビアに行きたい」と始発駅でいただいた路線図を示したのだが、車掌は今度は乗り換え駅名を指して連呼、中々収拾がつかない。
ようやく、お爺さんが「自分たちが案内する」と車掌を説得(したように見えた)。
さて、乗り換え駅名は忘れたが、そこは茫漠としたスペインらしい大平原に四方囲まれてポツンとある無人駅であった。
ヒエー。もし、我々だけだったらと思うとゾッとした。
大平原に浮かぶ無人島に取り残された気持ちになって、さぞや心細かったのでは思った。
《セゴビア-水道橋~親切な警官のオジサンが案内してくれた》
《アルカーサル-白雪姫城》
【参考】
スペイン国鉄(RENFE)
http://www.raileurope-japan.com/
【関連記事】
◆アルハンブラで終日遊ぶ~1993年9月飛行機でスペイングラナダに行った
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2013-04-05
◆マドリードのラス・ベンタス闘牛場 に闘牛を見に行った
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2012-06-17
セゴビア(Segovia)は、マドリードからは87km。今はバスの方が便利らしいけど、1993年8月29日 マドリードから電車に乗ってセゴビア(Segovia)に行った。
所要時間は、約2時間、途中で乗り換えも有ったが、親切なスペイン人の皆さん(おせっかいなくらい?)の御蔭を持って無事到着した。
今は、南部にアトーチャ駅、北部にチャマルティン駅があるそうだが、当時確か北の駅(名前の記憶なし)に適当に乗ったような記憶がある。切符を買う時に、その駅からでは直接セゴビアに行けないとのことで、駅窓口では、路線図をくれ、乗り換え場所をマークしてくれぐれも注意するよう、繰り返し説明された。
電車に乗ってしばらく経つと、車掌がスペイン語で何やら捲し立ててきた。「ぽかーん?(怒っているのかな?)」
そうこうしているうちに、「どうしたどうした」とばかりに、お爺さん、お婆さん4人組が集まって来て車内は大騒ぎ。
「セゴビアに行きたい」と始発駅でいただいた路線図を示したのだが、車掌は今度は乗り換え駅名を指して連呼、中々収拾がつかない。
ようやく、お爺さんが「自分たちが案内する」と車掌を説得(したように見えた)。
さて、乗り換え駅名は忘れたが、そこは茫漠としたスペインらしい大平原に四方囲まれてポツンとある無人駅であった。
ヒエー。もし、我々だけだったらと思うとゾッとした。
大平原に浮かぶ無人島に取り残された気持ちになって、さぞや心細かったのでは思った。
《セゴビア-水道橋~親切な警官のオジサンが案内してくれた》
《アルカーサル-白雪姫城》
【参考】
スペイン国鉄(RENFE)
http://www.raileurope-japan.com/
【関連記事】
◆アルハンブラで終日遊ぶ~1993年9月飛行機でスペイングラナダに行った
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2013-04-05
◆マドリードのラス・ベンタス闘牛場 に闘牛を見に行った
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2012-06-17
2013-04-02 22:51
カゼルタ(Caserta)の一日~2002年9月 [タイムスリップ]
2002年9月ソレント(SORENNTO)からナポリに戻り、卵城正面の何やら歴史ある「サンタ ルチア グランド ホテル(Santa Lucia Grand Hotel)」に宿泊。バカでかいジャグジーがある、落ち着かない部屋だった。
《ホテルの絵葉書とホテルの窓から見た、明けがたのナポリ風景》
《カゼルタ宮殿(Caserta:イタリア語:Reggia di Caserta)》
18世紀(1752年~)にブルボン家のナポリ王カルロ7世が建てた。
庭園は、バロック様式でヴェルサイユ庭園をまねたと、ガイドブックにかいてあったような。しかし、むしろ、ヴェルサイユを凌ぐ美しい庭園や、王宮は、王宮で、シャルロッテンブルク宮殿をモデルに考案されたりとか....。「模した」が多いけど行ってみる価値あり。
庭園の中には、当時はタクシーか馬車を運行しており(今はシャトルバス?)、めちゃくちゃ遠い奥にある滝の噴水まで行くこともできる。でも、歩いた方が、趣が有る。
【行き方】
イタリア国鉄FSでナポリ中央駅 (Stazione di Napoli Centrale)からカゼルタ( Caserta)まで、約50分弱で到着、駅を出るとすぐ目の前にカゼルタ宮殿( Reggia di Caserta)がある。
:ナポリからバスでも行くことができるとのこと。(ナポリ中央駅前のガリバルディ広場にバス停有り)
<<イタリアの鉄道時刻表>>
http://www.trenitalia.com/
《庭園~遥か彼方に噴水が》
《宮殿内》
カゼルタは、1999年の映画『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』と2002年の『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』の中で、アミダラ女王の宮殿として撮影されたようだ。気がつかなかった.....
《滝の噴水》
【関連記事】
■ナポリ民謡「帰れソレントへ」で有名なソレント(SORENNTO)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-23
■ポジターノ(POSITANO)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-24
■ラヴェッロ(Ravello)に行った。
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-25
《ホテルの絵葉書とホテルの窓から見た、明けがたのナポリ風景》
《カゼルタ宮殿(Caserta:イタリア語:Reggia di Caserta)》
18世紀(1752年~)にブルボン家のナポリ王カルロ7世が建てた。
庭園は、バロック様式でヴェルサイユ庭園をまねたと、ガイドブックにかいてあったような。しかし、むしろ、ヴェルサイユを凌ぐ美しい庭園や、王宮は、王宮で、シャルロッテンブルク宮殿をモデルに考案されたりとか....。「模した」が多いけど行ってみる価値あり。
庭園の中には、当時はタクシーか馬車を運行しており(今はシャトルバス?)、めちゃくちゃ遠い奥にある滝の噴水まで行くこともできる。でも、歩いた方が、趣が有る。
【行き方】
イタリア国鉄FSでナポリ中央駅 (Stazione di Napoli Centrale)からカゼルタ( Caserta)まで、約50分弱で到着、駅を出るとすぐ目の前にカゼルタ宮殿( Reggia di Caserta)がある。
:ナポリからバスでも行くことができるとのこと。(ナポリ中央駅前のガリバルディ広場にバス停有り)
<<イタリアの鉄道時刻表>>
http://www.trenitalia.com/
《庭園~遥か彼方に噴水が》
《宮殿内》
カゼルタは、1999年の映画『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』と2002年の『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』の中で、アミダラ女王の宮殿として撮影されたようだ。気がつかなかった.....
《滝の噴水》
【関連記事】
■ナポリ民謡「帰れソレントへ」で有名なソレント(SORENNTO)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-23
■ポジターノ(POSITANO)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-24
■ラヴェッロ(Ravello)に行った。
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-25
2012-12-30 09:48
ラヴェッロ(Ravello)に行った。~2002年9月 [タイムスリップ]
2002年9月アマルフィ(Amalfi)からラヴェッロ(Ravello)に行った。
・ラヴェッロ(Ravello)に行くにはアマルフィ(Amalfi)に出なければならない。
滞在中のSorrentoからバスでアマルフィーに出た。(所要1時間40分)
ラヴェッロ(Ravello)は、他のアマルフィ海岸の町と違いラッタリ山脈の丘に位置し、標高約350mと小高い丘の上に建つ。アマルフィ(Amalfi)からバスで行く(バス乗り場は、観光客がたくさん並んでいるのですぐわかる。)
<行き方>バス(SITA社)にてアマルフィバスターミナル広場からスカーラ( Scala)行きバス でラベッロで下車(所要時間は約30分)。~狭い道や時折転がり落ちるのではと思うようなすごい急な坂を登っていったのを覚えている。対向車が来ると大変でスリル満点。
《ルフォロ荘(Villa Rufolo) 》
《チンブローネ(Villa Cimbrone)》
【関連記事】
■ナポリ民謡「帰れソレントへ」で有名なソレント(SORENNTO)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-23
■ポジターノ(POSITANO)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-24
■カゼルタ(Caserta)の一日~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-30
・ラヴェッロ(Ravello)に行くにはアマルフィ(Amalfi)に出なければならない。
滞在中のSorrentoからバスでアマルフィーに出た。(所要1時間40分)
ラヴェッロ(Ravello)は、他のアマルフィ海岸の町と違いラッタリ山脈の丘に位置し、標高約350mと小高い丘の上に建つ。アマルフィ(Amalfi)からバスで行く(バス乗り場は、観光客がたくさん並んでいるのですぐわかる。)
<行き方>バス(SITA社)にてアマルフィバスターミナル広場からスカーラ( Scala)行きバス でラベッロで下車(所要時間は約30分)。~狭い道や時折転がり落ちるのではと思うようなすごい急な坂を登っていったのを覚えている。対向車が来ると大変でスリル満点。
《ルフォロ荘(Villa Rufolo) 》
《チンブローネ(Villa Cimbrone)》
【関連記事】
■ナポリ民謡「帰れソレントへ」で有名なソレント(SORENNTO)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-23
■ポジターノ(POSITANO)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-24
■カゼルタ(Caserta)の一日~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-30
2012-12-25 22:00
ポジターノ(POSITANO)に行った。~2002年9月 [タイムスリップ]
2002年9月中旬ポジターノ(POSITANO)に行った。
1997年、カプリに旅行した時は、ポジターノ経由でアマルフィーに船で行ったが、下船しなかった。
2002年の時は、ソレントから定期バスで行った。所要時間約40分。結構、バスは飛ばしていたのを覚えている。
《POSITANOのバス車窓から》
《バス停近くから撮影》
《POSITANOから船で帰る゙》
・ソレントのエクセシオールホテル下のマリーナグランデに入港する。
:なお、デジカメは、レンズにパスタのソースか何かがくっつき、ほとんど靄がかかっている。これはまだ、ましな写真。ご容赦願いたい。
【関連記事】
■ナポリ民謡「帰れソレントへ」で有名なソレント(SORENNTO)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-23
■ラヴェッロ(Ravello)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-25
■カゼルタ(Caserta)の一日~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-30
◆ポジターノ(Positano)停泊
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2021-06-14
1997年、カプリに旅行した時は、ポジターノ経由でアマルフィーに船で行ったが、下船しなかった。
2002年の時は、ソレントから定期バスで行った。所要時間約40分。結構、バスは飛ばしていたのを覚えている。
《POSITANOのバス車窓から》
《バス停近くから撮影》
《POSITANOから船で帰る゙》
・ソレントのエクセシオールホテル下のマリーナグランデに入港する。
:なお、デジカメは、レンズにパスタのソースか何かがくっつき、ほとんど靄がかかっている。これはまだ、ましな写真。ご容赦願いたい。
【関連記事】
■ナポリ民謡「帰れソレントへ」で有名なソレント(SORENNTO)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-23
■ラヴェッロ(Ravello)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-25
■カゼルタ(Caserta)の一日~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-30
◆ポジターノ(Positano)停泊
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2021-06-14
2012-12-24 16:54
ナポリ民謡「帰れソレントへ」で有名なソレント(SORENNTO)に行った。~2002年9月 [タイムスリップ]
2002年9月ナポリ民謡「帰れソレントへ」で有名なソレント(SORENNTO)に行った。
いつだか、イタリアを旅していた柄本明さんが、本場のイタリア人の前で披露していたイタリア・ナポリの民謡「帰れソレントへ(ナポリ語でTorna a Surriento)」。そのソレントだ。
ソレントは、ポジターノ(POSITANO)やアマルフィー(AMALFI)など南イタリーの名所へは、陸路でも、また、マリーナグランデ(港)゙から船でもいける旅行の拠点になる便利な街である。また、ナポリからも近い。このたびでは、帰りはナポリに宿泊、ナポリは一度ならず来ているので卵城とかベタなところも行ったけど、これまで行っていなかったカゼルタ宮殿など(CASERTA)を観光できた。誠にのどかで充実した旅であったと記憶している。
以下の2つの悲劇を除けばだが.....トホホ
《ソレントの悲劇 その1~M木ツアーの来襲》
Hilton Sorrento Palace 最上階、エグゼクティブツインルームだかなんだか、バカでかいダブルベッドのほかに2つのシングルベッドのある部屋 に泊まったので、 屋上の小さなプールと小さなレストランのエグゼクティブラウンジでの軽食、飲みモノはエグゼクティブルームの客には、無料サービスであった。そこに宿泊して、何日か目の朝、突然悲劇が我々を襲った。
ある日の朝、大きなレストランの朝食も飽きたので、軽食でも食べようとエグゼクティブラウンジに上がったところ、入口付近で床にこぼれた料理カスをモップで掃除している若い従業員に、ここに入ってくるなとすごい形相で制止された。しかし、すぐに、うしろから、「No.No Our guest」.と私たちを知っているウエイターが中に通してくれたものの、同ラウンジの食べ物のケースは根こそぎ空っぽで、略奪された後のように、惨憺たる状況だった。説明によるとエグゼクティブルームに泊まっていない日本人の団体客が、早朝から雲霞(うんか)の如く襲って来たらしく、私たちが同じ日本人なので、「あの連中が」また襲ってきたと制止をされたらしい。やむなく、4Fだかの大きなレストランに行ったが、ここもお客さんが行列しており、テーブルには日本人の団体さんの一派が、大声を出しながら多人数座っていた。前にならんでいた白人の老夫婦があきれ返って帰って行ったが、我々も、諦めて、後ほど朝食を取ることとして、部屋に帰った。
後でわかったことだが、M木ツアーなる日本人の中高年の団体客数百名が同ホテルに泊まっていたかどうかも定かではないが、弾丸スケジュールで一斉に早朝に朝食をとろうと4Fの大きなレストランに押しかけたようだ。当然、レストランは一杯になり、あふれたメンバーが、件のエグゼクティブラウンジを食べつくした(略奪行為に及んだ?)らしい。中国の反日デモほどではないけど、同胞としては、ワールドワイドに「恥ずかしい振る舞い」であった。
《ソレントの悲劇 その2~パスタソース事件》
気がつくのが遅すぎたのだが、ソレント、ポジターノ、アマルフィーからラベッロに行った帰りに、漸くデジカメのレンズにマヨネーズのようなソースが、ついていたことを発見した。従って、旅の大半の写真は、モヤがかかっているのである。
《当地一番人気だったソレントエクセルシオールホテルGrand Hotel Excelsior Vittoria のレストランから》
《マリーナグランデ港》
【関連記事】
■ポジターノ(POSITANO)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-24
■ラヴェッロ(Ravello)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-25
■カゼルタ(Caserta)の一日~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-30
いつだか、イタリアを旅していた柄本明さんが、本場のイタリア人の前で披露していたイタリア・ナポリの民謡「帰れソレントへ(ナポリ語でTorna a Surriento)」。そのソレントだ。
ソレントは、ポジターノ(POSITANO)やアマルフィー(AMALFI)など南イタリーの名所へは、陸路でも、また、マリーナグランデ(港)゙から船でもいける旅行の拠点になる便利な街である。また、ナポリからも近い。このたびでは、帰りはナポリに宿泊、ナポリは一度ならず来ているので卵城とかベタなところも行ったけど、これまで行っていなかったカゼルタ宮殿など(CASERTA)を観光できた。誠にのどかで充実した旅であったと記憶している。
以下の2つの悲劇を除けばだが.....トホホ
《ソレントの悲劇 その1~M木ツアーの来襲》
Hilton Sorrento Palace 最上階、エグゼクティブツインルームだかなんだか、バカでかいダブルベッドのほかに2つのシングルベッドのある部屋 に泊まったので、 屋上の小さなプールと小さなレストランのエグゼクティブラウンジでの軽食、飲みモノはエグゼクティブルームの客には、無料サービスであった。そこに宿泊して、何日か目の朝、突然悲劇が我々を襲った。
ある日の朝、大きなレストランの朝食も飽きたので、軽食でも食べようとエグゼクティブラウンジに上がったところ、入口付近で床にこぼれた料理カスをモップで掃除している若い従業員に、ここに入ってくるなとすごい形相で制止された。しかし、すぐに、うしろから、「No.No Our guest」.と私たちを知っているウエイターが中に通してくれたものの、同ラウンジの食べ物のケースは根こそぎ空っぽで、略奪された後のように、惨憺たる状況だった。説明によるとエグゼクティブルームに泊まっていない日本人の団体客が、早朝から雲霞(うんか)の如く襲って来たらしく、私たちが同じ日本人なので、「あの連中が」また襲ってきたと制止をされたらしい。やむなく、4Fだかの大きなレストランに行ったが、ここもお客さんが行列しており、テーブルには日本人の団体さんの一派が、大声を出しながら多人数座っていた。前にならんでいた白人の老夫婦があきれ返って帰って行ったが、我々も、諦めて、後ほど朝食を取ることとして、部屋に帰った。
後でわかったことだが、M木ツアーなる日本人の中高年の団体客数百名が同ホテルに泊まっていたかどうかも定かではないが、弾丸スケジュールで一斉に早朝に朝食をとろうと4Fの大きなレストランに押しかけたようだ。当然、レストランは一杯になり、あふれたメンバーが、件のエグゼクティブラウンジを食べつくした(略奪行為に及んだ?)らしい。中国の反日デモほどではないけど、同胞としては、ワールドワイドに「恥ずかしい振る舞い」であった。
《ソレントの悲劇 その2~パスタソース事件》
気がつくのが遅すぎたのだが、ソレント、ポジターノ、アマルフィーからラベッロに行った帰りに、漸くデジカメのレンズにマヨネーズのようなソースが、ついていたことを発見した。従って、旅の大半の写真は、モヤがかかっているのである。
《当地一番人気だったソレントエクセルシオールホテルGrand Hotel Excelsior Vittoria のレストランから》
《マリーナグランデ港》
【関連記事】
■ポジターノ(POSITANO)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-24
■ラヴェッロ(Ravello)に行った。~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-25
■カゼルタ(Caserta)の一日~2002年9月
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-12-30
2012-12-24 00:01
オルセー美術館(Musee d'Orsay)を愛でる-2003年8月の夏 [タイムスリップ]
オルセー美術館は、もともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであったそうです。
2003年8月ですから、まだ改装前のオルセー美術館(Musee d'Orsay)にお邪魔しました。確かに、駅舎と言われれば駅舎みたいでしたね.....写真で一目瞭然です。
それと、とても気に入ったのは、教科書や画集などで見たことのある名画の数々を、フラッシュをたかなければ自由に写真が撮れることです。ヨーロッパはギリシャでもスペインでもそうだけど。(よ! 太っ腹!)
てなわけですが、今回は当時のオルセー美術館(Musee d'Orsay)館内風景や、セーヌ川川下り時に外から撮った2003年頃のMusee d'Orsayのご紹介。(昨年(2011年)パリに行った時は、ルーブルに行くことにしていたのでチラ見しただけでした。バカデカくて中が見本市会場のようなルーブルより、こじんまりとして落ち着いた雰囲気のオルセーの方がずっと好きですね。疲れないし。......←個人的な感想です)
《Musee d'Orsay館内の様子》
《一番上の階のレストランから》
《セーヌ川川下りでMusee d'Orsayを眺める》
2003年8月ですから、まだ改装前のオルセー美術館(Musee d'Orsay)にお邪魔しました。確かに、駅舎と言われれば駅舎みたいでしたね.....写真で一目瞭然です。
それと、とても気に入ったのは、教科書や画集などで見たことのある名画の数々を、フラッシュをたかなければ自由に写真が撮れることです。ヨーロッパはギリシャでもスペインでもそうだけど。(よ! 太っ腹!)
てなわけですが、今回は当時のオルセー美術館(Musee d'Orsay)館内風景や、セーヌ川川下り時に外から撮った2003年頃のMusee d'Orsayのご紹介。(昨年(2011年)パリに行った時は、ルーブルに行くことにしていたのでチラ見しただけでした。バカデカくて中が見本市会場のようなルーブルより、こじんまりとして落ち着いた雰囲気のオルセーの方がずっと好きですね。疲れないし。......←個人的な感想です)
《Musee d'Orsay館内の様子》
《一番上の階のレストランから》
《セーヌ川川下りでMusee d'Orsayを眺める》
2012-12-06 22:25
プエルトバヌス(Puerto Banus)で夕食を―2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った [タイムスリップ]
2003年8月スペインのコスタデルソル(Costa del Sol)に行った。~Ⅲであります。
18日ミハス(Mijas)から帰って、その日の夜は外で食事をすることにしました。
プエルトバヌス(バヌス港:Puerto Banus)には、宿泊先マルベーリャ-プエンテ・ロマーノ(Marbella-PuenteRomano)からタクシーで10分~15分ぐらいでしたか?
「おいしい高級シーフードレストランが立ち並んでいるのでお薦め」と何方かに言われて行ってみることにしました。
港は、大きなヨットやボートが浮かんでおり、高級レストランとかブランドショップが並んでいます。
少し早目に行ったけど散策も結構楽しんだのを覚えております。同伴人は、うれしそうに、何やら、かにやら買い求めていました。さて、夜景は美しかったのですが、写真は、腕が悪いのか、カメラがそこまで行っていなかったのか残念な結果でしたので御紹介できませんが...
◎Marbella-バヌス港(Puerto Banus)
《港風景:夕方なのにまだまだ明るい風景》
《夕日の中で:Puerto Banus》
【関連サイト】
◆ミハス(Mijas )-2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2012-11-18
◆ロンダ(RONDA)―2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2012-11-23
◆プエルトバヌス(Puerto Banus)の夕暮れ「素人絵画の世界」
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2021-05-04
18日ミハス(Mijas)から帰って、その日の夜は外で食事をすることにしました。
プエルトバヌス(バヌス港:Puerto Banus)には、宿泊先マルベーリャ-プエンテ・ロマーノ(Marbella-PuenteRomano)からタクシーで10分~15分ぐらいでしたか?
「おいしい高級シーフードレストランが立ち並んでいるのでお薦め」と何方かに言われて行ってみることにしました。
港は、大きなヨットやボートが浮かんでおり、高級レストランとかブランドショップが並んでいます。
少し早目に行ったけど散策も結構楽しんだのを覚えております。同伴人は、うれしそうに、何やら、かにやら買い求めていました。さて、夜景は美しかったのですが、写真は、腕が悪いのか、カメラがそこまで行っていなかったのか残念な結果でしたので御紹介できませんが...
◎Marbella-バヌス港(Puerto Banus)
《港風景:夕方なのにまだまだ明るい風景》
《夕日の中で:Puerto Banus》
【関連サイト】
◆ミハス(Mijas )-2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2012-11-18
◆ロンダ(RONDA)―2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2012-11-23
◆プエルトバヌス(Puerto Banus)の夕暮れ「素人絵画の世界」
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2021-05-04
2012-11-25 10:18
ロンダ(RONDA)―2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った [タイムスリップ]
2003年8月17日ロンダ(RONDA)に向かいました。
:宿泊先マルベーリャ-プエンテ・ロマーノ(Marbella-PuenteRomano)からタクシーでマルベーリャバスターミナルへ向かいました。確か600円ぐらいだったと記憶しています。当時スペイン政府はタクシーの規制を強め雲助タクシーの一掃をはかるため、行く先を書いた料金表のマトリクス表の提示を義務付けていました。運転手さんは、余り英語はうまくなかったけど、マトリクス表で「OK?」と念を押す明朗会計だったのを覚えています。
さてフエンヒローラ(Fuengirola)経由だったか直行だったかは忘れましたが、切り立った断崖の上にそびえ立つ町...
ロンダ(RONDA)に到着。
《真横からからヌエボ橋》
《渓谷の下のナイススポットからヌエボ橋を写す》
ヌエボ橋は18世紀に架けられ、全長100メートル以上に渡って旧市街と新市街とを結んでいます。
かなり急な傾斜の小道を降りて行くと、渓谷の下のナイススポットに行きつく。同伴人は低いけどヒールをはいているのでギブアップ。独りで撮影に向かいましたが、ほとんど整備されていない坂道で、他の観光客が2人くらいいたから良かったけど、蛇でも出てこないかと内心結構あせっていました。
《断崖絶壁》
断崖絶壁が、美しくやたらシャッターを押したのを覚えています。
《アラメダタホ公園》
《Ronda-アルハンブラを聞く》
《ロンダの闘牛場レアル・マエストランサ:1785年に開設》
《Ronda-ボスコ邸 (Casa de San Juan Bosco)》
《宿泊ホテル:マルベーリャ-プエンテ・ロマーノ(Marbella-PuenteRomano)》
マラガ空港から車で30分。アンダルシア様式でデイブ・トーマス設計の本格的なゴルフ場を有するリゾートホテル。観光オンリーの我々は、ちょっと浮いていたけど、観光地への行き方等のご案内もとても親切でした。
【関連サイト】
◆ミハス(Mijas )-2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-11-18
◆プエルトバヌス(Puerto Banus)で夕食―2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-11-25
◆スペインのロンダ(Ronda)でアンダルシア平原の女を描く
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2020-06-17
:宿泊先マルベーリャ-プエンテ・ロマーノ(Marbella-PuenteRomano)からタクシーでマルベーリャバスターミナルへ向かいました。確か600円ぐらいだったと記憶しています。当時スペイン政府はタクシーの規制を強め雲助タクシーの一掃をはかるため、行く先を書いた料金表のマトリクス表の提示を義務付けていました。運転手さんは、余り英語はうまくなかったけど、マトリクス表で「OK?」と念を押す明朗会計だったのを覚えています。
さてフエンヒローラ(Fuengirola)経由だったか直行だったかは忘れましたが、切り立った断崖の上にそびえ立つ町...
ロンダ(RONDA)に到着。
《真横からからヌエボ橋》
《渓谷の下のナイススポットからヌエボ橋を写す》
ヌエボ橋は18世紀に架けられ、全長100メートル以上に渡って旧市街と新市街とを結んでいます。
かなり急な傾斜の小道を降りて行くと、渓谷の下のナイススポットに行きつく。同伴人は低いけどヒールをはいているのでギブアップ。独りで撮影に向かいましたが、ほとんど整備されていない坂道で、他の観光客が2人くらいいたから良かったけど、蛇でも出てこないかと内心結構あせっていました。
《断崖絶壁》
断崖絶壁が、美しくやたらシャッターを押したのを覚えています。
《アラメダタホ公園》
《Ronda-アルハンブラを聞く》
《ロンダの闘牛場レアル・マエストランサ:1785年に開設》
《Ronda-ボスコ邸 (Casa de San Juan Bosco)》
《宿泊ホテル:マルベーリャ-プエンテ・ロマーノ(Marbella-PuenteRomano)》
マラガ空港から車で30分。アンダルシア様式でデイブ・トーマス設計の本格的なゴルフ場を有するリゾートホテル。観光オンリーの我々は、ちょっと浮いていたけど、観光地への行き方等のご案内もとても親切でした。
【関連サイト】
◆ミハス(Mijas )-2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-11-18
◆プエルトバヌス(Puerto Banus)で夕食―2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-11-25
◆スペインのロンダ(Ronda)でアンダルシア平原の女を描く
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2020-06-17
2012-11-23 11:52
ミハス(Mijas )―2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った [タイムスリップ]
2003年8月18日ミハスに行きました。
ワールドワイドなミーハーとしては、太陽海岸コスタデルソル(Costa del Sol)に行ったら、キャノンの カメラのCMに使われた通りがあるミハス(Mijas )に行こうと決めていました。
《この年の1年前ぐらいにCMで話題になったサン・セバスチャン通り》
《バス停近くから》
8月18日宿泊先マルベーリャ-プエンテ・ロマーノ(Marbella-PuenteRomano)からタクシーでマルベーリャバスターミナルへ
《行き方》
マルベーリャからフエンヒローラ(Fuengirola)まで路線バスで約50分強、フエンヒローラからミハス(Mijas )まで路線バスで約25分弱で着きます。
さて、ミハスに行ったら、アマポーラと言う有名な歌がかかっているまさに「アマポーラ」と言う店がありました。
なんで入ったのかは、定かでないし、同伴人も何か買ったという記憶はない。ガイドブックに書いてあったのかも知れません。アマポーラは、スペイン語で、「ヒナゲシの花」を意味するそうです。
《街ほか》
《ラ・ペーニャ聖母礼拝堂》
<<宿泊先>> ホテル プエンテ ロマノ(Hotel Puente Romano)のパンフ
Bulevar Principe Alfonso von Hohenlohe,, Marbella, Spain
【関連サイト】
◆ロンダ(RONDA)―2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-11-23
◆プエルトバヌス(Puerto Banus)で夕食―2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-11-25
ワールドワイドなミーハーとしては、太陽海岸コスタデルソル(Costa del Sol)に行ったら、キャノンの カメラのCMに使われた通りがあるミハス(Mijas )に行こうと決めていました。
《この年の1年前ぐらいにCMで話題になったサン・セバスチャン通り》
《バス停近くから》
8月18日宿泊先マルベーリャ-プエンテ・ロマーノ(Marbella-PuenteRomano)からタクシーでマルベーリャバスターミナルへ
《行き方》
マルベーリャからフエンヒローラ(Fuengirola)まで路線バスで約50分強、フエンヒローラからミハス(Mijas )まで路線バスで約25分弱で着きます。
さて、ミハスに行ったら、アマポーラと言う有名な歌がかかっているまさに「アマポーラ」と言う店がありました。
なんで入ったのかは、定かでないし、同伴人も何か買ったという記憶はない。ガイドブックに書いてあったのかも知れません。アマポーラは、スペイン語で、「ヒナゲシの花」を意味するそうです。
《街ほか》
《ラ・ペーニャ聖母礼拝堂》
<<宿泊先>> ホテル プエンテ ロマノ(Hotel Puente Romano)のパンフ
Bulevar Principe Alfonso von Hohenlohe,, Marbella, Spain
【関連サイト】
◆ロンダ(RONDA)―2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-11-23
◆プエルトバヌス(Puerto Banus)で夕食―2003年8月コスタデルソル(Costa del Sol)に行った
http://sodaxpiee.blog.so-net.ne.jp/2012-11-25
2012-11-18 21:16
2003年8月快晴のフォンテーヌブロー城(Château de Fontainebleau) [タイムスリップ]
2003年8月22日パリ郊外のフォンテーヌブロー城(Château de Fontainebleau)に行きました。
快晴でした。
さて、フォンテーヌブロー城(Château de Fontainebleau)は、フォンテーヌブロー宮殿(Palais de Fontainebleau)とも言います。
12世紀後半にはルイ7世のものだったらしい。多くのフランス王による築城によって今日があるとのこと。設計はベルサイユを設計したル・ノートルによる広大な花壇、カトリーヌ・デ・メデシスが造らせたディアナの庭園(Jardin de Diane)など趣の異なる4つの庭園からなっているとのことです。
《行き方》
SNCF(国鉄)で、パリ(Paris)の Gare de Lyon(リヨン)駅からMontargis(モンタルジ)行きに乗ってFontainebleau Avon(フォンテーヌブロー・アヴォン)駅へ40分ほど。
駅からバスで10分。
※実際はフォンテーヌブロー・アヴォン駅に到着後は、他の観光客の後について行っただけであります。ゾロゾロ...(正確には駅からバスAでLa Poste-Château(ラ・ポスト シャトー)で下車。 )
《フォンテーヌブロー城》
《城内》
《庭園を愉しむ》
《Etang des Carpes 鯉の池》
《運河Canal? 兎に角広々として気持ち良かったであります》
《あひるさんものんびり》
快晴でした。
さて、フォンテーヌブロー城(Château de Fontainebleau)は、フォンテーヌブロー宮殿(Palais de Fontainebleau)とも言います。
12世紀後半にはルイ7世のものだったらしい。多くのフランス王による築城によって今日があるとのこと。設計はベルサイユを設計したル・ノートルによる広大な花壇、カトリーヌ・デ・メデシスが造らせたディアナの庭園(Jardin de Diane)など趣の異なる4つの庭園からなっているとのことです。
《行き方》
SNCF(国鉄)で、パリ(Paris)の Gare de Lyon(リヨン)駅からMontargis(モンタルジ)行きに乗ってFontainebleau Avon(フォンテーヌブロー・アヴォン)駅へ40分ほど。
駅からバスで10分。
※実際はフォンテーヌブロー・アヴォン駅に到着後は、他の観光客の後について行っただけであります。ゾロゾロ...(正確には駅からバスAでLa Poste-Château(ラ・ポスト シャトー)で下車。 )
《フォンテーヌブロー城》
《城内》
《庭園を愉しむ》
《Etang des Carpes 鯉の池》
《運河Canal? 兎に角広々として気持ち良かったであります》
《あひるさんものんびり》
2012-11-10 19:37