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ナポリ民謡「帰れソレントへ」で有名なソレント(SORENNTO)に行った。~2002年9月 [タイムスリップ]

2002年9月ナポリ民謡「帰れソレントへ」で有名なソレント(SORENNTO)に行った。

いつだか、イタリアを旅していた柄本明さんが、本場のイタリア人の前で披露していたイタリア・ナポリの民謡「帰れソレントへ(ナポリ語でTorna a Surriento)」。そのソレントだ。

ソレントは、ポジターノ(POSITANO)やアマルフィー(AMALFI)など南イタリーの名所へは、陸路でも、また、マリーナグランデ(港)゙から船でもいける旅行の拠点になる便利な街である。また、ナポリからも近い。このたびでは、帰りはナポリに宿泊、ナポリは一度ならず来ているので卵城とかベタなところも行ったけど、これまで行っていなかったカゼルタ宮殿など(CASERTA)を観光できた。誠にのどかで充実した旅であったと記憶している。
以下の2つの悲劇を除けばだが.....トホホ

《ソレントの悲劇 その1~M木ツアーの来襲》
Hilton Sorrento Palace 最上階、エグゼクティブツインルームだかなんだか、バカでかいダブルベッドのほかに2つのシングルベッドのある部屋 に泊まったので、 屋上の小さなプールと小さなレストランのエグゼクティブラウンジでの軽食、飲みモノはエグゼクティブルームの客には、無料サービスであった。そこに宿泊して、何日か目の朝、突然悲劇が我々を襲った。

ある日の朝、大きなレストランの朝食も飽きたので、軽食でも食べようとエグゼクティブラウンジに上がったところ、入口付近で床にこぼれた料理カスをモップで掃除している若い従業員に、ここに入ってくるなとすごい形相で制止された。しかし、すぐに、うしろから、「No.No Our guest」.と私たちを知っているウエイターが中に通してくれたものの、同ラウンジの食べ物のケースは根こそぎ空っぽで、略奪された後のように、惨憺たる状況だった。説明によるとエグゼクティブルームに泊まっていない日本人の団体客が、早朝から雲霞(うんか)の如く襲って来たらしく、私たちが同じ日本人なので、「あの連中が」また襲ってきたと制止をされたらしい。やむなく、4Fだかの大きなレストランに行ったが、ここもお客さんが行列しており、テーブルには日本人の団体さんの一派が、大声を出しながら多人数座っていた。前にならんでいた白人の老夫婦があきれ返って帰って行ったが、我々も、諦めて、後ほど朝食を取ることとして、部屋に帰った。

後でわかったことだが、M木ツアーなる日本人の中高年の団体客数百名が同ホテルに泊まっていたかどうかも定かではないが、弾丸スケジュールで一斉に早朝に朝食をとろうと4Fの大きなレストランに押しかけたようだ。当然、レストランは一杯になり、あふれたメンバーが、件のエグゼクティブラウンジを食べつくした(略奪行為に及んだ?)らしい。中国の反日デモほどではないけど、同胞としては、ワールドワイドに「恥ずかしい振る舞い」であった。

《ソレントの悲劇 その2~パスタソース事件》

気がつくのが遅すぎたのだが、ソレント、ポジターノ、アマルフィーからラベッロに行った帰りに、漸くデジカメのレンズにマヨネーズのようなソースが、ついていたことを発見した。従って、旅の大半の写真は、モヤがかかっているのである。


《当地一番人気だったソレントエクセルシオールホテルGrand Hotel Excelsior Vittoria のレストランから》

ソレントマリーナグランデエクセシオール眺望C-020915-1.JPG


ソレントマリーナグランデエクセシオール眺望C-020915-2.JPG



《マリーナグランデ港》

sorrento-107マリーナグランデ.jpg



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