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上野原スタンド・バイ・ミー(Stand by Me)-國夫さん故郷に帰る [昭和時代]

國夫さん(くんちゃん)は、2020年2月に突然亡くなった。コロナ禍の喧伝され始めたころであるため、兄弟の様にしていた親戚の我々さえも4月の納骨式の頃には出席できなくなった。コロナは愛を奪うといった小説家がいたが、人の営みの礎である人情の機微や思いをすべて引き裂くことはできないはずである。

《2019年11月 わが個展に来てくれた》
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國夫さんは、亡くなって、暫く山梨県上野原市の慈眼寺(じげんじ;曹洞宗)の両親の眠る代々の墓に眠っていたが、2021年2月、同じ墓地内の両親の近くに新しいお墓ができたと、國夫さんの妹さんから知らせを受けたため、3月23日、伯父、伯母の葬儀以来となる上野原を訪れた。
今回は、お墓参りはもちろん、今から60年近く前、毎年夏に訪れた上野原の渓流や自然、そして街並みなど見て回ろうと、観光協会で電動自転車を借りた。

《上野原駅とさびれている北口》
上野原駅に着くと、大概、おばや親せきの誰かが迎えに来てくれた。

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《國夫さんの慈眼寺のお墓》
國夫さんと子供のころ遊んだ、川が近くを流れる慈眼寺という寺にひっそりとたてられている。
多くの人に囲まれて過ごし、ずっと一緒にいてほしいとの思いを込めて「Together Forever」と確かに墓石に刻まれている。

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《桂川ほか思い出の風景》
思い出の風景は確かに様変わりしているが、川(桂川)の流れは変わらない。

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《山下の先》
山下の上流は、クリーンセンター(清掃工場)になっていた。かつて素っ裸で、突然来たバスから大笑いされた橋まで行く気力は失せた。

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《わが兄弟の作句》
わが弟(きんぎ岩アドエンチャーに記した味噌っかすの弟である)が、作句した俳句。
「春あらし 君ひそやかに 逝くを知る」

<六地蔵>
きんぎ岩に行く途中の道に六地蔵があった。 仏教では人間が死んだ後、生前の善行や悪行によって行く先が地獄、餓鬼(がき)、畜生、修羅、人間、天の六道(りくどう)に分かれる。六道における苦しみを救う6種類の地蔵菩薩

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今回は、きんぎ岩に行こうと古老に道を聞いたのだが、集落を抜けたところになかなか行きつかず、帰りの時間もあり断念したのが、とにかく心残りだった。小学生の子供がこんなに遠くまで来ていたのかと、驚いた。次回こそ....

國夫さん、また来るよ。Together Forever

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