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父母の旅路(平成2年5月のフォトファイル) [よしなしごと]

断捨離で物置代わりの洋間などを整理していたら、父母の晩年の旅行のフォトファイルが出てきた。写真の横にちょっとした説明文などが添えられるやつだ。捨てるつもりが、中に写真とともに、父の詠んだ俳句がちりばめられているのに気付き、つい読み出しとまらなくなった。(父は若い頃に大正期から昭和にかけての「ホトトギス」を代表する俳人原石鼎に師事していた。)
俳句のブランクは云十年だろうが、77歳で仕事をリタイアする前後からは気ままに作句していたのだろう。(中に俳句を走り書きした広告の裏紙があったので、それをフォトファイルに母が書き写したようだ)
萩は、父の先祖の地だ。長州藩士の末子で他家に養子にだされていた祖父は、まだ少年で明治維新に間に合わず遅れて上京したと聞いている。 
父は、祖母が40歳過ぎの頃生まれたので、当時としては、相当の高齢出産だったようだ。

さて、旅行の行程は以下のように記録されている。
1.下関   --平成2年5月21日
2.秋吉-萩  --平成2年5月22日
3.萩    --平成2年5月22日~23日
4.萩・大濠・柳川--平成2年5月23日~25日
5.柳川・大宰府 --平成2年5月25日

父母は、終戦後まもなく結婚したため、新婚旅行先の伊東に行くとき列車はすし詰め状態でまともには乗れなかった。やむなく便所の窓から中の乗客に助けられてようやく乗ったので、それ以来「臭い仲」になったという冗談を、何度もしていたのを記憶している。

<下関~博多・門司港駅など>
雲海の涯にありけり五月晴 機上にて 

平2.5.21下関3-博多-門司雲海の涯にありけり五月晴 機上にて よしお.jpg


博多-門司港駅 初夏の日のただひろびろと駅古りて

平2.5.21下関5-博多-門司港駅 初夏の日のただひろびろと駅古りて2.jpg


関門橋和布苅(あかり)の山の緑背に

平2.5.21下関7-門司→関門橋和布苅(あかり)の山の緑背に3.jpg


人の才を集めて成りし水底の道にこの世はいやさかゆかん

平2.5.21下関9-関門海峡-人の才を集めて成りし水底の道にこの世はいやさかゆかん2.jpg



<秋吉・萩>
秋吉の若葉のかげの野の佛

平2.5.22秋吉、萩4-2秋吉の若葉のかげの野の佛.jpg


ひそとあり若葉のかげの野の佛

平2.5.23萩、大濠、柳川-2-熊谷美術館中庭-2.jpg


<萩>指月荘
初夏の夜の潮騒遠き目覚めかな
夏みかん喰べて憩う海の前

平成2年5月22日-東萩指月020522-23001.jpg


平2.5.22萩7-指月公園-自在庵-2.jpg


【横光利一-】指月公園
蓬生ふ銃眼の中海光る

平2.5.22萩5-指月公園銃眼土塀-横光利一-蓬生ふ銃眼の中海光る-2-1.jpg


平2.5.22萩5-指月公園銃眼土塀-横光利一-蓬生ふ銃眼の中海光る-3.jpg


【先祖の知行していた?と聞く山口県阿武郡佐々並村の1980年前後の頃の写真】

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<大濠・柳川・大宰府>柳川川下りなど

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2002年9月1日没 父、享年八十七。
2010年1月2日没 母、享年八十九。

※なお、父の俳号は有桁(ゆうこう)であった。口が大きいのでアリゲータ(ワニ)から師石鼎がつけてくれた名前だ。タケシ軍団の命名とは違う。

《母から亡父へのラブレター》俳句は俳人有桁こと父の作、絵は母が描いた。

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【レクイエムrequiem】

◆奇妙な夢を見た
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2011-03-02

◆父の買ってくれたブリキのロボット 
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2013-12-08

◆父の中国留学~戦後70年
https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2015-08-15