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極楽寺(kek lok si temple)にて [タイムスリップ]

ペナン島の極楽寺(kek lok si temple=ケッロクシ)は、マレーシアでも最大の仏教寺院。1890年創建。これまで、1985年および1997年と2度行っている。

《恐怖の極楽寺からペナンヒルまで~1985年10月》
◎トンチンカン夫婦の旅  ここに始まる。
当時、マレーシアでは、白タクに乗って捕まると、利用客も罰せられるから気を付けろとガイドに脅されていた。ホテル近くのタクシーの溜り場に行って、夜景のきれいなペナンヒルに向かう前に極楽寺に立ち寄って観光、そこからさぞや有名な観光地にいるであろう別のタクシーに乗って、夕方ペナンヒルに向かう算段だった。甘かった。
ホテル近くのタクシーの溜り場は、前の方には黄色いタクシーがいるのに、ダミーだった。男たちに奥に連れていかれた。白タクだ。本当に車体までが白いよれよれのセダンだ。引き返そうとすると、更に他の男たちにも囲まれた。人相の悪い壺売りのような男が運転手で、「No problem」を繰り返す。極楽寺まで「18ドーラーズ」だという。家人もいたので、ままよとばかり極楽寺まで行くこととする。ガイドブックでは、近いように思ったが40分ぐらい乗っていた。車中、家人に話しかけても顔はひきつっている。更に極楽寺近くに来ると件の壺売り顔のタクシー運転手が、交渉を始めた。「ペナンヒルにも行くのだろう。丘の下で、待っててやって、帰りはホテルに送るから60ドル(当時日本円で6000円ぐらい)でどうだ」という。既に恐怖の真っただ中の家人が、同意するはずもなく、ここで結構だと降りることとする。その時白人観光客が、「天の助け」とばかりに嬉しそうな顔で、我々がまだ乗っている壺売りタクシーに駆け寄ってきた。後でわかったことだが、壺売り運転手は、本当は親切でいいやつだったのかも知れないとさえ思った。タクシーが去った後、すぐに事情が呑み込めた。観光客など一人もいなかった。タクシーも1台もない。観光した後にはいるかもと期待したが、寺の入口に行っても人っ子一人いなかった。もちろんタクシーもいない。おまけに雨も降りだした。ガイドブックは極めていい加減な地図で、丘の向こうがペナンヒルのような絵だったので、無謀にも歩き始めた。誰にも会わない。不安が募る。しばらくして遭遇した坂の上の方からくる老婆に聞くが、英語が通じない。後ろからくる人に聞けという。確かに、後ろから35歳前後の男性がジョギングしながら下りてくる。「ペナンヒルに行くには、どういけばよいか?」「On foot?(歩いて?)」驚愕される。親切な人で自分の車に乗れという。15分弱かかった。歩いてなんて、とんでもない話だ。この方は日本の間組に勤めていたことがあるとのことであった。ラッキーだった。ペナンヒルには、ケーブルカーで上る。
ペナンヒルで、夜景タイムまで食事をすることとする。疲れきっていて、うっかり大衆食堂のような店に入ってしまった。ほかに客がいない。異常に安く、異様にまずかった。ビールを除いては.....我々が店を出ていくとき、入るのを躊躇していた白人の親子が、我々の姿を見て安心した顔になり入れ替わりに入っていった。犠牲者を作ってしまった。

ペナンヒルの夜景を見た後、ケーブルカーで降りた。また、タクシーなどいやしない。でも、極楽寺から連れて来てもらった時大きな通りがあったので、そこまで行こうと歩き出したときスルスルとまたも白タクが近づいてきた。ラササヤンホテルまで、「18ドーラーズ」、おまけに「女房と子供を途中で乗せてよいか」だと・・「No problem」と今度は私が答える。

《極楽寺再び~1997年4月》
想い出のペナンに行きたいとの家人の希望で1997年ゴールデンウイーク前に同地を再訪した。昔はラササヤンとゴールデンサンなど少ししかホテルがなかったが、ペナンはホテルも増え、飲食店もたくさんあり原宿状態で様変わりしていた。
昔、恐怖に慄いて気もそぞろだった極楽寺にもう一度行ってみようということに...宿泊しているムティアラビーチリソートホテルの前にバス停があり、街の中心のバスターミナルまで何本も出ている。(当時60円ぐらい)バスターミナルから極楽寺の麓の町で降りて(当時60円ぐらい)、そばを食ってから、そこからまた、バスが出ていた。(当時35円ぐらいだった)全てはスムーズで「No problem」の旅だった。

★今は、参道を歩くのがお勧めらしい。
ランドマークのコムタタワーに隣接するコムタバスターミナルから、AIR ITAM方面のバスに乗り、極楽寺の麓で降りて、坂道を20分程登る。203、204系統のバスでセブンイレブンが目印らしい。

《極楽寺(kek lok si temple=ケッロクシ)》

ペナン島極楽寺_0003.jpg