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法師人利康さん(青春会長老)を追悼する [青春会]

われらがトーテンポール、いやスカイツリー、そして愛すべき友 法師人利康さんが、2017年エイプリールフールの4月1日に100万人に3人というほど稀有な十二指腸癌で亡くなった(享年68)。嘘ではない。本当のことである。この現実を厳粛に受けとめるのに、残念で悔しくて言葉がない。

青春会の前身は昭和51年に創業されたテニスクラブで、当初は軟式テニスだったが、現Y岸会長が初代部長を務めた。翌昭和52年には軟式から硬式テニスに改変されH谷川氏が部長に就任、その後何代か続いたが昭和56年には「青春会」に改称、Y岸会長及び一族による独裁政権が続き今日に至っている。
法師人利康さんは、そんな軟式テニスクラブの創業時からのメンバーで、何人かの人が去った後も常に長老として君臨、中心的な存在であり続けた。

軽井沢や千葉あるいは土浦で私たちは年2回合宿を開催する。いつも笑顔の法師人さんはこの会の集まりが一番愉しみだと言って、親御さんの1周忌と日程がぶつかった回を除いては、ほとんどの合宿に欠かさず参加した。しかし、テニスに熱心に取り組むかというとそうでもない。これが何より楽しみと昼から酒を呑み、思いついたらテニスをする。常にマイペースの人だった。
準備運動としてコートをランニングするようY岸会長から指示が飛ぶ。しかし、どこ吹く風とばかりにちんたら適当にやっている。かと思うと、試合をさぼってすぐに「審判席」に座りテキトー男の真骨頂ともいうべき、よそ見していて玉の行方を見ておらず、まことにいい加減な判定を繰り返し、皆を笑わせた。

一方、試合では、長身(192㎝)を生かしてボールが上の方に来たときは面白いように叩き落とす。しかし、足元に弱いパトリオット(地対空ミサイル)などとも言われていたように、腰から下を抜かれると口をとがらせて「あまり下の方に打つなよ!」と怒っていたのが妙におかしかった。(テニスなのですけど…)

2017年5月13日-14日、また、私達青春会は浅間山の見える軽井沢でテニス合宿やります。
法師人さん、よく試合さぼって登っていた審判台に戻ってきてください。席は空いています。ボールの行方追うのはいつものように適当で良いですから…

これからも、我々青春会は大いにテニスを楽しみ、大いに呑み、まだまだ馬鹿やって「青春を謳歌」して行きます。
法師人さん。天国から見ていてください。そして「馬鹿やってんじゃねえよ!」と声をかけてください。

よーし、コート10周!(Y岸会長)
合掌    
2017年4月
青春会一同

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