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「市村座」…….“夢の時代”のコラボレーション [よしなしごと]

曾祖父の須恵庄蔵は、大工の棟梁で芝居小屋「市村座(下谷二長町時代)」の営繕工事に長年携わり、舞台の仕掛けについては定評があったことは既に述べた。

《岩瀬釜吉とよう》~URL参照

https://sodaxpiee.blog.ss-blog.jp/2012-04-14

「市村座」は1634年(寛永11年)に村山又三郎が興した村山座に始まり、1652年(承応元年)、市村羽左衛門が興行権を買い取り「市村座」とした。江戸時代に中村座、河原崎座(森田座のちの守田座)とともに江戸三座とうたわれた大歌舞伎小屋だったそうである。

当初、日本橋葺屋町(現・日本橋人形町3丁目)にあったようだが、1842年(天保13年)浅草猿若町(現・台東区浅草6-18-13 <猿若町2丁目>)へ移転した後、1892年(明治25年)下谷ニ長町(現・台東区台東1丁目5番地)に再転した。移転後、町は俄かに賑わい始め、その名は瞬く間に東京中に知れ渡った。

曾祖父が、「市村座」で大工として腕をふるっていた時代は、どうやら六世尾上菊五郎や人気役者初代中村吉右衛門が演じ、いまでも語り草の名舞台の数々が生み出されていた、いわゆる二長町の「菊吉時代(大正時代)」とも重なっていたらしい。

絶頂期の「市村座」は、きっと当代一流の役者とそれを支える曾祖父たち職人(大工)とのワクワクするようなコラボレーションが実現していた“夢の時代”だったのだろう。

《「市村座」の碑…台東区台東1丁目5番地~凸版印刷本社》
良く見ないと、見逃してしまう「市村座」の碑。JR秋葉原駅から徒歩5分、凸版印刷本社に向かって左端の植え込みにそっとある。詳しいことは以下の碑文参照。

120728市村座の碑_02.JPG



120728市村座の碑_04.JPG


市村座は1923年(大正12年)9月1日関東大震災で被災、消失、その後バラックで再建されたが1932年(昭和7年)、楽屋からの失火で焼失した後は再建されることもなかった。