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昭和の遠足 Ⅰ [昭和時代]

昭和30年代の東京(目黒)の小学生の遠足の定番も含め、「昭和の遠足」は、交通の発達した今日では考えられない近場に行っていたのだなと、感慨ひとしおであります。
缶詰をたくさん持って行って、先生に、”最近の子供は、贅沢だ”とこちらに聞こえるように咎めるように言われたのを何故か覚えています。

誰もが貧しかった時代だし、もちろん自分の家も貧しい。目立ったことするなと諭されたのか、我々も年をとれば最近のガキは贅沢だでしょう。
でも親も子供も明るく、燦さんと輝いていた昭和時代でもありました。

自分は、...いまだ、平成馴染みません。失われた20年も平成から、スピード経営だ、成果主義だ、ゆとり教育だのと、日本中で馴染まないことが繰り広げられたのも平成です。結果が、格差社会を生み出した今日の迷走かな....

<新宿御苑~昭和33年>
母親が来れないとのことで、隣のおばさん(バアチャン)が、一緒に来てくれたとばかり勘違いしていたことが、今になってわかりました。理由はわからないですが、写真を見ると母親が来ていました。ショック!
しかし、字を教わったのも隣のバアチャンでしたし、夏休みなんか1カ月弱バアチャンの引っ越した練馬区田柄町の家に遊びに行ってました。そのころは、周辺は畑で土筆やのびるが取れました。
この時代は、周囲の人々が「子供に関心があった」時代でしたね。

新宿御苑33.JPG



<馬事公苑(ばじこうえん)~昭和34年>
:東京都世田谷区上用賀にある公園~日本中央競馬会(JRA)の運営
 走っていた馬が突然「バ(馬)!」と大音響を残してコーナーを回っていった。馬も「おなら」することを知った。

s34馬事公苑.JPG



<深大寺~昭和35年1月>
東京都調布市深大寺元町五丁目15番地1
天平5年(733年)満功上人が法相宗の寺院として開創したと伝わる。
当時、東京の小学生の遠足の定番。


深大寺S35-1.JPG



<出州海岸~昭和35年5月24日  潮干狩り>
所在地 千葉市中央区千葉港
何ゆえか、あさりを余分に取った優等生に1袋渡され、2袋分の料金を取られました。
お人よしは、ガキの頃からだったのですね。
出州海岸は、今は、昭和45年に出来たみなと公園に「出洲海岸埋立造成事業記念碑」があるということは、埋め立てられたらしい。


出州海岸S35.5.24五井の近く.JPG


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